この居合術の師範家は往時四家に継承され、夫々に御家の伝統を守り伝えて居たことが解かる。本来舊熊本藩のこの流れは一つの師範家から始められたと想像されるが、次代を経て二派に、細川中興の藩主八代重賢公時代の後、三家に別れ今その流名を詳らかにすれば一つには入江派とよばれ、また、熊谷派、大塚派そして藩校時習館開校から数十年の後に新たに興された師範家星野派と都合四派の流れを見ることが出来るが、現在にその流れを顕す事が出来得るのは熊谷派と星野派のふたつの流儀のみである。

この伯耆流居合術の始まりは、片山伯耆守藤原久安と云う戦国末期の士人が創始したと伝えられ、その抜刀術が何時の世にどの様な過程を通じて此地肥後に伝来したかの詳細は伝わってはいない。

久安は天正三年(西暦一五七五)に生誕し、慶安三年(西暦一六五〇)、岩国の地にて薨ったと伝わっている。豊臣氏が滅亡するや流浪の後、岩国に來岩し防府に滞留し、其の翌年、吉川廣家にて召抱えられている。その後久安は幾年かを芸州に送り、又、九州にもその足跡を残したとも伝えられており、次代の久隆をもうけた後には、東武に遊んだとの伝承もみえる。

【由来】

  愛宕山大権現

  流祖 片山伯耆守 藤原久安

  二代 浅見一無斎 有次在判

  三代 薗田九左衛門尉 藤原安國

  四代 小鶴五左衛門尉 藤原國廣

  五代 下田角右衛門 橘清重

  六代 田城與五郎 藤原釈次

  七代 粟津権兵衛尉 藤原長次

  八代 久布白喜郎左衛門尉 藤原光春

  九代 熊谷軍次 平直道

  十代 熊谷次郎右衛門 平直行

 十一代 熊谷十助 平直章

 十二代 熊谷軍兵衛尉 平直榮

 十三代 吉川源兵衛尉 藤原廣良

 十四代 吉川次郎熊 河野高廣(藤原)

 十五代 吉岡繁蔵 藤原繁蔵

 十六代 大塚椎

 十七代 大塚維隆

 十八代 清田雅雄

【系譜】

<連絡先> 宗家 清田雅雄         

〒861-0531 山鹿市中891-6
 

伯耆流居合術熊谷派

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