葦北鉄砲隊は、寛永年間中頃(1630年代)肥後熊本藩細川氏が葦北地方(現在の熊本県八代市日奈久より水俣市までの範囲)の防衛体制の一翼を担う軍事的な目的と、加藤家旧勢力の遺臣を権力機構に取り込み統治を安定させるため、帰農していた在地浪人からなる地侍で鉄砲隊を組織したのが始まり。寛永15年の天草・島原の乱での原城総攻撃において目覚しい活躍をみせ、熊本藩士が直接指揮をとる藩直属の鉄砲隊「葦北御郡筒」として、最大規模の時には430名に上る鉄砲隊として、明治3年(1870年)まで存在した。葦北鉄砲隊は、この240年間の長きに渡り葦北を守っていた、葦北御郡筒の伝統と文化の継承と、歴史の変わり目に大きな影響を与えた火縄銃砲術(稲富流砲術:江戸時代前期の砲術家「稲富一夢」(いなどめいちむ)がひらいた砲術で、大阪夏の陣で豊臣、徳川両軍がその技を使用し、熊本藩においては、加藤藩、細川藩に亘り使用された。)の技術を現代に体現するべく、火縄銃伝来460年の節目の年、平成15年(2003年)秋に結成された。

現在「芦北町親善大使」として、当時の葦北御郡筒が実際に使用した火縄銃や古文書の調査などを行い、歴史的な価値を考証するとともに、その技術を現在に体現し、広く社会に周知することによって伝統文化及び地域の振興に寄与するべく、公的機関の要請による行事参加や、小中高等学校での郷土学習等、年間約50回に及ぶ演武を披露する活動を行っている。

【由来】
【系譜】

<連絡先> 芦北鉄砲隊事務局                     

〒869ー5442 葦北郡芦北町花岡1677-47綜合食品ヒラキ2F

℡ 0966-82-3480
 

稲富流砲術

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