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大東流合気武道
【由来】
大東流合気武道は、清和天皇末孫新羅三郎源義光を始祖とし、甲斐武田家に伝承する。武田信玄他界後、武田土佐守国継、天正二年弥生二月会津に到着、会津国司芦名盛氏に仕え会津御池の地頭として子孫定住、大東流を継承した。徳川家康の孫幼名幸松丸は、武田信玄の重臣保科正光の養子となり保科正之と改め後会津藩祖となった。保科正之公は、兄三代将軍家光公の遺命に依って、四代将軍家綱公の将軍補佐役として江戸城で大政輔弼の任二十三年その間大東流を殿中護身武芸「御式内」に改め老中重臣奥勤に指導、格式高い式芸であった。この「御式内」は、保科正之公以来、歴代会津藩主が継承し、明治初期、武田国継の末孫、不世出の達人、武田惣角が会津藩家老西郷頼母(保科近眞)より道統を受継ぎ全国を二回武者修業し、明治・大正・昭和の三代に亘り、陸海軍将官判検事・各地武道家・有力者等の門人三万人余を育成した。
門人には、佐川幸義・堀川幸道・𠮷 田幸太郎・植芝盛平・久琢磨・山本角義・その他幾多の優秀な門人を輩出した。大東流合気武道は、武田惣角の長男武田時宗が宗家を継承して技法を整理し全国各地海外にも支部を置き、普及・発展に努めた。
平成四年、宗家武田時宗逝去後、物心両面で大東流を支えてこられた網走市の中川イセ先生の下、時宗会を組織し現在に至る。
【系譜】
流祖 清和天皇
二代 貞純親皇
三代 経基
四代 満仲
五代 頼信
六代 義光
七代 武田義清
八代 武田信義
九代 武田信光
十代 武田信満
十一代 武田信重
十二代 武田信虎
十三代 武田土佐守国継
十四代 武田権左衛門
十五代 保科正之
十六代 歴代会津藩主及び武田家
十七代 武田内匠守惣右衛門
十八代 武田惣吉(会津力士界大関)西郷頼母(保科近悳)
十九代 武田惣角源正義
西郷四郎
佐川幸義
二十代 武田時宗