<連絡先>師範 間部光矢
〒869-0238 玉名市岱明町開田251-4
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日置吉田流
【由来】
吉田派は大和日置流の始祖日置弾正政次の唯一人の相伝を受けた吉田上野守重賢(江州佐々木六角の家臣龍王嶽の城主、入道して道宝どうほうと号す、西暦千五百四十三年、天文十二年没、年八十二才)を祖として一子相伝であったが、その子孫・高弟達が工夫を凝らして一派を作り、出雲・雪荷・道雪・印西・左近右ヱ門・大蔵・大心・山科・寿徳派はを呼称している。
第八代師範平井治部太夫家恒が細川家に仕え、藩主細川重賢公の宝暦の改革により宝暦五年一月、時習館講武所、東榭、西榭を開講その中にあって弓術では竹林派、道雪派等と共に藩士に指導し隆盛を極めましたが、明治維新の廃藩置県により衰微したがその後も流儀を志す者同士が宗家を頼り吉田流の存続を行っていたが一時吉田流も宗家のみで門下生がなく衰退しかけていたが第十八代石原一人師範により再び活動が活発になってきている。現在第二十代師範間部光矢氏と共に県北に二十名余りの門下生が後世に伝承すべく努力している。
【系譜】
日置流の始祖 日置弾正政次
初代 吉田上野守重賢(吉田流の祖・道宝)
二代 吉田出雲守重政
三代 吉田出雲守重高
四代 吉田左近右ヱ門業成
五代 吉田大蔵少輔茂氏
六代 片岡助十郎家次
七代 片岡助十郎家清
八代 平井治部太夫家恒
九代 松田源吾正信
十代 松田角兵衛元政
十一代 手嶋淳八真昭
十二代 坂牧瀬左衛門真之
十三代 下林庄助保範
十四代 富田叉太郎真弼
十五代 富島通信聴泉
十六代 野田大九郎
十七代 中路義男
十八代 石原一人
十九代 石原徳一
二十代 間部光矢