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剣道龍驤館

肥後新陰流

【由来】

 新陰流の起源は紅葉観念の巻によりますと数千年前中国の伏義王が釣り上げた亀の甲に八卦の文字が現われてそれから剣法をあみだして陰の剣法と称したそうであります。

この剣法は皇紀一三七五年頃、元正天皇の御代に宮崎県の鵜戸権現に伝って来たと云われます。その後一時絶えておりましたが応仁の頃愛洲移香斎久忠が権現の神前に参籠して満願の暁、神のみ告げによってこの剣法の妙奥を悟って、更に工夫鍛錬してこれを新陰流と名付けました。その後上泉信綱は習得錬磨して流派を完成させて諸国に拡めました。

【系譜】

  流祖 愛洲移香斎久忠

  二代 愛洲小七郎元香斎宗道

  三代 上泉武蔵守藤原信綱

  四代 匹田豊五郎

  五代 藤原景兼入道栖雲

  六代 上野左右馬助藤原景用

  七代 上野喜三右衛門藤原景末夢醒

  八代 上野喜三右衛門藤原景末夢醒

  九代 上野喜三右衛門藤原景根入道仁斎

  十代 上野甚五

 十一代 右衛門藤原景明

 十二代 和田伝兵衛橘定高

 十三代 和田金右衛門橘陳高

 十四代 和田伝兵衛高倫

 十五代 和田金左衛門高徳

 十六代 野田長三郎

 十七代 古賀栄信

 十八代 古賀徳孝

 十九代 相川学

 二十代 紫垣正刀

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