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本體楊心流柔術
【由来】
当流開祖は奥州白石藩高木折右衛門重俊の楊心流小太刀と二代目高木馬之輔重貞の高木流柔術と四代目大國鬼平重信の九鬼神流棒術を三本柱として四百年間連綿として継承され、現在十九代目に至っている伝統ある総合武術である。
当流開祖高木折右衛門重俊は奥州白石藩主、片倉小十郎の家臣稲飛三左衛門の次男として寛永十三年一月二日生まれ、幼名を右門と称していた。右門は出羽の国、常陸少将義秀の家臣、武藤団右衛門に就き、無刀流小太刀及鏡智流槍術を学び技を極め奥儀に達す。当時白石藩の指南役であった。父三衛門が闇討ちに逢い非業の最後を遂げる。後、父の仇を無事報じ、父が常に戒めの言葉であった「楊木は強く、高木は折れるぞよ」との意に随い、名を楊心流高木折右衛門重俊と名乗る。当流二代目高木馬之輔重貞は明暦二年一月十二日日向国延岡に生まれる。
幼少にして諸国武者修業中楊心流高木折右衛門重俊に見出されて師事し後養子となる。先師折右衛門の楊心流剣、槍、居合、柔術等を数年錬磨奥儀に達す。後奥州二本松の片ほとりの山に篭って徒手で人を制する業を工夫修業する事千日開眼して高木流柔術を編み出す。棒術は四代目を継いだ出雲の住民大國鬼平重信が天道流薙刀の名手で一流を編み出す事を志して氏神に祈願をかけて毎夜神前において薙刀の技を連日究めていたが満願の夜仮寝中突然九匹の鬼が襲いかかり薙刀を以て、この鬼と闘う内に薙刀の刃先を折られ残った柄(棒)で退治した夢を見て一流をたて、九鬼神流棒術と称した。三代目高木源之進英重の時に棒術の達人、大國鬼平重信が身につけていた九鬼神流棒術と技の交流がなされ、ここから楊心流小太刀と高木流柔術が合併伝承され現在第十九代井上恭一宗教へと継承されて来た。
【系譜】
流祖 高木折右衛門 重俊
二代 高木 馬之輔 重貞
三代 高木 源之進 英重
四代 大國 鬼平 重信
五代 大國 八九郎 信俊
六代 大國太郎太夫 忠信
七代 大國 鬼平衛 良定
八代 大國与左衛門 良貞
九代 中山 甚内 定秀
十代 大國武右衛門 英信
十一代 中山嘉左衛門 定賢
十二代 大國 鎌治 英俊
十三代 八木 幾五郎 久喜
十四代 石谷 武甥 正次
十五代 石谷 松太郎 正治
十六代 角野 八平太 正義
十七代 皆木 三郎 正教
十八代 井上 剛 宗俊
十九代 井上 恭一 宗教