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 宗家 井上弘道

雲弘流

【由来】

 雲弘流は、そのはじめ奥州伊達家の士に、樋口七郎右衛門不と言う者がおって、天神正伝神道流を学び、更に之を改益して一流を起し弘流と言った。寛文年中のことである。同じ藩中の士に氏家八十郎と言う人がおって、其の祖父は井鳥土佐という旗本千石であった。父の五郎衛門の時に仙台候の家臣となったこの氏家が不の弟子で相応に技を能くしたが、一度無住心剣の小出切一雲に逢って其の非凡に敬服して門人の列に入り研究の結果印可を得た。そこで伊達家を辞して本姓の井鳥に復した五郎右衛門と称し巨雲と号した。流儀も弘流を経とし無住心剣を緯として雲弘流と言う一派を開いて剣道指南をした、是が雲弘流の初である。

肥後雲弘流については、宝暦四年十二月細川第八代重賢公は、文武を振興し、人材を養成し国家治乱の用に供すると言う目的で熊本城内二の丸に藩校時習館を設立し、武芸所を東西榭と称した。この開校と共に井鳥五郎衛門景雲が、師役を引受けた。八年の後、門人二百人に及ぶという隆盛を誇った。景雲以後の歴代雲弘流当主は、東西榭の師役を幕末まで務めた。特に肥後藩では君候に侍するものの中誰か一人は雲弘流の遺手を選ばれたものだと言う、これは当流の修養を頼もしきもの、確かなものと認められたからであろう。真剣勝負、実戦ならば雲弘流である。

【系譜】

  初代 樋口不元雲(流祖)

  二代 針谷五郎兵衛夕雲

  三代 小出切空鈍一雲 

  四代 井鳥助之允巨雲

  五代 井鳥五郎衛門景雲

  六代 建部貞右衛門流雲

  七代 建部九郎助帰雲

  八代 建部貞右衛門大雲

  九代 建部青一郎青雲

  十代 建部長敬寂雲

 十一代 建部真八郎保雲

 十二代 野之口常人徳雲 

 十三代 高橋長鑑微雲

 十四代 岡崎唯雄牙雲

 十五代 建部忠平詳雲

 十六代 建部健三郎健雲

 十七代 井上平太皆雲  

 十八代 井上伯雲  

 十九代 井上弘道尤雲

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